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3月

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ひな祭り(雛ずし、散らし寿司、白酒、ひし餅)

 3月3日はひな祭り、桃の節句です。中国から伝わった風習ですが、日本の古来の春の農耕に先立った海や山での楔祓い(みそぎはらい)の行事と結び付きました。中国から伝わった風俗は、曲水の宴で知られるように上流から流した杯を取って酒を飲み、和歌を作る風流なものでした。日本古来の風俗は、形代(かたしろ)として作った人形の身体をなで、自分の身体の汚れを移して川や海に流すというものです。
 高価な今のお雛(ひな)さまを流すことは出来ませんが、今なお雛流しの風習が残っている地方もあるようです。
 現在のようなひなまつりは、江戸時代の初め頃からで、五節句の一つとして女の子の節句となり、雛も15体揃い、婚礼の調度を模して、豪華でファンタジックなものとなりました。
 最も一般的な飾りつけは、屏風をバックに最上段に男女一対の内裏雛、次の段から順次三人官女、五人嘲(ばやし)、三人仕丁などの人形が置かれ、ぼんぼり、左近の桜、右近の橘、菱餅、白酒、雛菓子などが供えられています。さらに重箱、箪笥(たんす)、長持(ながもち)、扶(はさみ)箱、鏡台、針箱、駕寵(かご)、御所車などのミニチュア調度が並べられ、女の子を夢の世界に誘います。そして、この雛壇の前で桃の花を供え、白酒を飲み、御馳走を食べ、遊戯などに興じ、楽しい時を過ごします。これはまさに、女の子のための最高の演出であり、祭りであると言えるでしょう。
 

春分の日(ぼた餅)

 春の自然をたたえ、生き物をいつくしむ日として制定されたのが春分の日です。昼と夜との時間が等しくなり、この日を境に昼がだんだん長くなって反対に夜が短くなります。一般ではこの日が彼岸の中日、「暑さ寒さも彼岸まで」。過ごしやすい日々が到来します。
 春分の日(中日)と、その前後、おのおの3日、合計7日間が彼岸です。太陽の沈む真西に極楽浄土の門が最も近づきますので、先祖のお墓参りをします。悪行を断じて善行を修める期間です。彼岸は梵語(サンスクリット語)のパーラミター(波羅密多)を訳したもので、つまり迷いの此の岸(此岸)から、悟りの彼の岸(彼岸)に至るというもの。この仏教の考えに我が国古来の春分行事がつながりました。
 この日、太陽が沈む真西に極楽浄土の門があり、春分や秋分の日はこの門に一番近づくとされて日本特有の彼岸行事を生みだしました。浄土の門に一番近づくので先祖の墓参りをして亡き人をしのぶのに最良の日とされたわけです。
 彼岸行事とは反対に、太陽が真東から上がることから西洋ではイースターを祝います。冬との決別に対する喜びは洋の東西変わりないようです。ただ、イースターの場合は、春分の後の最初の満月の後の第一日曜日となります。キリストの受難と復活を記念した「復活祭」と結び付いています。もともとは春の女神エオストルの祭りで、太陽が真東(east)から上るためeasterと言います。
 
 

復活祭(イースター)(卵料理)

 春分の後、最初の満月の後の第一日曜日が復活祭、イースターです。キリストの受難と復活を記念した復活祭と、古くから行われていた春の女神エオストルの祭りとが重なり現在のイースターとなりました。イースターは冬との決別、季節の再生を祝う春の祭りで、そのシンボルが着色した卵です。古代ローマのことわざ「すべての生命は一つの卵から生まれた」のように、生命のいぶきあふれる春の祭りのシンボルにぴったりです。  キリスト教信者の家庭ではクリスマスの時のようにカードを交換したり、復活の象徴として着色した染め卵を飾ったりして家族の繁栄を願います。
 染め卵はかたゆで卵に食紅や絵の具で色つけをします。子供たちの楽しみは、何といってもイースターエッグハント、卵さがしゲームです。色つき卵をみつけるために家中をさがしまわります。イースターエッグロールという卵を転がすゲームもこの日の遊びになっています。
 

アネモネの花

 沈丁花の甘い香りが漂うなか水仙が花開き、梅がほころび始めると春はもうすぐそこ、一足さきに花屋さんの店さきにパンジー、デージー、サイネリア、アザレヤなどの西洋の花がところ狭しと並びます。
 あまりにはかなく、その花屋さんでも見かけることが少ないのですが春先に咲く花にアネモネがあります。
 冬が去るころ花開き、少しの風にもかれんな花びらを散らせるこの花はギリシャ神話によれば美の女神アフロディーテの涙です。
 ある日、アフロディーテは海辺で数頭の犬を連れて狩りをする少年に出会いました。すらりと伸びた脚、均整のとれた身体、元気のいい動きについうっとりと見とれ、その日からアフロディーテはその少年から目を離すことができなくなりました。
 いやすことのできない胸の痛みを感じつつその少年の後を追う日が始まります。その少年が今でも美少年の代名詞のようなアドニスでした。アドニスはいつも自分を見つめている女神がいることを知っていましたが、なぜ見つめられのかがわかりません。
 アフロディーテは狩りを楽しむアドニスに「危険なことはしないように」と母親のように声をかけるのでしたが少年はそんな言葉を笑って、進んで冒険を楽しんでいました。
 そんなある日、胸さわぎを覚えたアフロディーテは夜明けとともに森にかけつけました。そこで目にしたのは草むらに倒れている犬の姿でした。恐ろしさにふるえながら近づくと血だらけになっている犬の中にアドニスの姿がありました。
 少年は冷たくなりかけていました。美しい脚にはけものの歯が深く鋭く食い込んだ跡があってそこからまだ血が吹きだしていました。
 アフロディーテは全能の神ゼウスに少年の再生を願いました。それは、かなわぬ願いでした。涙がとめどなく落ちました。
 冬がゆき少年の血のうえに女神の涙がこぼれ落ちた草むらについぞ見かけたことがない花が咲きました。少しの風にもはかなく散ることから、風を意味するアネモネと名づけられました。
 
 

蛍の光(赤飯)

 パチンコ屋でも飲み屋でも閉店時間になると「蛍の光」が流れ始めます。原曲はスコットランド民謡、日本だけの別れの曲ではないようです。3月はこの曲があちこちの学校で流されます。別れの曲なら他にいくらでも名曲があるはずなのに、卒業式は相変わらずこの曲です。「蛍の光、窓の雪、文読む月日重ねつつ......」蛍の光や雪明りで本を読んだということらしいのですが、これがまた実にウソっぼい。「そんなことをすれば目を悪くするに決まつている」「蛍なんて1年のうちほんの数日、蛍がいなく、雪のない時はどうしてたんだ」と子供だって反論するだろう。
 むかしの中国、晋の国に孫康という男がいました。家が算乏で油が貰えない。それで雪明かりを頼りに勉強をして役人になり大臣となりました。
 これが窓の雪。蛍の光の方は、同じ晋の国の車胤(しゃいん)。ご多分にもれず貧乏で油が買えない。そこで蛍を数十匹包んで書を読みました。この人も役人になって次官になりました。刻苦勉励せよが漢文の「雪案蛍窓」ですが、立身出世の鏡のような人のまねを今の人たちがするはずがありません。
 しかし、努力をしようがしまいが「蛍の光」を歌って卒業していく子供たちを見て、喜ばしいのに大人たちはなぜか涙を浮かべます。決して悲しい訳ではなく、この曲を開いただけで条件反射のように涙があふれ出るらしいのです。長く歌い継がれてそんな曲になりました。
 本当に継続は力です。
 

サンドイッチの日

 313と並べると、ふたつの3で1がサンドされる「サンドイッチの日」が3月13日です。
 サンドイッチの語源は、ご存じサンドイッチ伯爵。200年ほど前のイギリスの海軍将校で名前はジョン・M・サンドイッチ伯爵です。
 サンドイッチ伯爵はトランプ遊びが大好きで、食事の時間も忘れて熱中、おなかが空いても、ゲームを中断したくないということで、パンの間におかずを挟んだものを作らせ、それを片手で食べつつ、ゲームを続行したといわれます。
 
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