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12月

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冬至

 太陽が赤道から南へ最も離れる日が冬至で、北半球では太陽の高さが一年中で最も低く、昼の時間が一番短くなります。太陽暦ではだいたい12月23日頃です。この日を境に日が畳の目の長さだけ長くなって行きます。
 冬至にカボチャを食べる風習は全国的なもので、これを食べると魔除けになり中風や風邪にかからないといわれています。コンニャクや小豆粥(あずきがゆ)を食べる地方もあります。
 この日柚子湯(ゆずゆ)に入る習慣もあります。冬至の柚子を縁の下に投げ込んでおくと火を防ぐともいわれています。
 日本では冬至にカボチャですが、お隣中国では、小豆粥や冬至団子を食べます。団子といってもお湯に浮かぶ少し変わった団子です。正しくは「湯圓」というもので、中にゴマ餡やピーナッツ餡が入っていてます。温かい団子ですから中からとろりと餡が出てきて身体が温まります。
 

映画の日

 学校の先生ではなく、お経を読む師僧が走り回るので師走というのだそうです。不思議に12月は誰もがせわしなくなります。ジングルベルのせいだ、あちこちの大掃除のためだといろいろささやかれますがやはり日が短いことが原因でしょう。12月23日は冬至、太陽が南に遠く離れ、昼の時間が一年で最も短い一日となります。この日を境にして日はまた少しずつ長くなっています。
 そのせわしない師走の初日がなぜか「映画の日」になっています。かき入れ時の正月を前にした宣伝活動なのでしょうか、正月映画のPRも新聞の夕刊や週刊誌をにぎわし始めます。
 正月の日本映画といえば、ひところは「男はつらいよ」の寅さん、そして「釣ばか日誌」のハマちゃんでした。寅さんを演ずる渥美さんが亡くなられ「男はつらいよ」の新作が上映されることはなくなりましたが、いずれもせわしない世の中をほのぼのと暮らすお話しです。
 「私、生まれも育ちも葛飾柴又です。帝釈天で産湯をつかい姓は車、名は寅次郎、人呼んでフーテンの寅と発します」の口上はすっかりなじみになりました。ガマの油売りやバナナのたたき売りの口上が大道芸としてCDにまとめられているのですから寅さんの口上も貴重です。
 「ものの始まりが一なら、国の始まりは大和の国、ドロボーの始まりが石川五衛門なら人殺しの始まりは熊坂の長範、スケベの始まりが隣のオジさんってえぐらいのもの。続いた数字がふたあつ。兄さんよってらっしゃいよは吉原のカブ。憎まれ小僧世にはばかる。日光、ケッコウ、東照宮。三で死んだか三島のお六。お千ばかりがおなごじゃないよ。四谷、赤坂、麹町、チャラチャラ流れるお茶の水。イキなねえちゃん立ちションベン。見上げたもんだよ屋根屋のふんどし・・・」と続けば笑わないわけにはいきません。
 
 

除夜

 12月31日は大晦日。その夜を除夜といい、一家団欒で過ごして年越しそばを食べて、寝ないで年を明かす習慣があります。
 昔は、「この夜、早く寝ると白髪になる」「長く起きていると長生きできる」と言って子供たちを起こしていたそうです。夜のしじまを破る除夜の鐘は百八つ打つのがしきたりで、この百八つの音が人間の持つ百八つの煩悩を一つ一つ取り除いていきます。
 煩悩というのは、食欲、性欲、財産欲、嫉妬などの逃れられない人間のみにくい部分を言います。梵鐘には上の方に25個ずつ4カ所と、2つずつ4カ所に、合計百八つのいぼが必ずついていて、「百八煩悩」を表しています。
 

年越しそば

  丘畑の畔道下りふるさとの
    匂いかぎたり秋そばの花(前田夕暮)
 彼岸花の咲く頃そば畑は白いベールで包まれます。春の菜の花と比べると秋のそばの白はどこか物悲しさが漂います。
  そばおかぼ丸い山越す秋の風(寺田貫彦)
 もの悲しい風情の白い花は、少し強めの秋の風になぎ倒されてしまいます。花の命は短く花が終わると三角の形をした黒い実がこぼれ落ちます。
 そのカラの中に白い粉が入っています。これがソバ粉です。ソバは本当は白い粉、黒いのはカラが混入した、あるいは着色したものです。なぜか黒い方が本物と思う人がいてその人の為に着色をするとのことです。
 そばの語源の稜(そば)はもともと斜面とか、かど、斜めの方向といった意味の言葉です。はずれ、すみっこという意味もあります。そばの葉も身も三角形、端っこの三角地でつくられるから「そば」なのかもしれません。
 さて、年越そばを手打ちそばでやろうというそば好きはかなりいる。
 手打そばの極意は、一鉢、二延し、三包丁だそうです。鉢は大きな木鉢のこと、そば粉に水、場合によってはつなぎの小麦粉、玉子、芋などを加えてこの木鉢でこねます。手で押さえつけながら丸くして上から押しつぶします。水をうまく回すことが肝心でこれが難しい。
 粘土をこねるように丸くこねあげたそばを四角に広げるのが次の延ばし作業で、延し棒を使ってだんだん大きく広げ切りやすい様にたたみます。これが2延ばしです。そしてそばきり包丁切って行きます。これもまた難しい。細く長くが理想だが慣れないと太くて短く、ゆであげると箸にもかからない代物が出来上がる。茹で上げた後の化粧水にもこだわるようになるとこれはもう本物です。
 そばがきはそば粉に熱腸を入れて勢い良くこねたもの、昔懐かしの素朴な料理ですが、本物の味は格別で結構好きな人が多いようです。
 
 

年越そば(2)

 大晦日の夜食に食べる年越そば。細く長くとの願いを込めたものかと思いきや、その起源は金運を願うものです。
 江戸のころ、金銀細工の工場では年末の掃除にそばダンゴを転がし、畳のへりや部屋の隅に飛び散った金や銀の粉を吸い付かせました。そばが金を集めたので、おおみそかに年末の金運を願って年越そばを食べるようになりました。現代なら、さしずめ年末ジャンボ宝くじが当たりますようにと、そばをすすって果報を待つという我が姿が浮かび上がります。
 さて、そばは原産地が東アジア北部。中国・朝鮮から日本に渡来しました。荒れ地でもよく育ちます。日本独特のもののような気がするのですが、世界を見ると、ロシアで多く生産されています。欧米では小麦粉のかわりに利用されることが多く、小麦粉とミックスしたパンケーキなどに使用されているよう′です。給食を提供する人は、そばアレルギーに対する配慮が必要です。
 日本のそばは北海道で国産の大部分を生産していますが、それでも国産は全体の需要量の2割程度しかまかなっていません。
8割は輸入をしており、主な輸入先は、中国、アメリカ、カナダなど。アメリカでも最近はそばが健康食とし。て静かなブームであると聞きます。しかし、アメリカ人が江戸っ子のように、麺つゆをチョンとつけて、ズズッと威勢よくすする姿は想像し薙いものです。
 時代劇によく出てくる「二八蕎麦」。うどん粉2割、そば8割で作ったそばを言う場合と、二と八をかけて一杯十六文のそばをさすともいわれています。
 香港の大晦日の食べ物は、何と餃子。大量の餃子を食べるそうです。餃子は耳を摸して作られています。昔々の神話の時代、女神が泥で人間をこしらえておりました。ところが真冬だったので泥が凍って耳が落ちてしまったのです。すぐにそれを糸で縫いつけたそうですが、人間はそのときに耳を無くしたという潜在的恐怖から、我が身の再生を願って耳に似た餃子を食べるのだそうです。
 

クリスマス

 街にジングルベルが鳴り響く12月。クリスチャンでもないのに不思議にウキウキしてきます。クリスマスは言うまでもなくイエス・キリストの誕生祭。12月25日に生まれたとされ、その前夜がクリスマス・イブ、聖夜と呼ばれます。
 イエス・キリストがお生まれになった時、不思議な星に導かれてベツレヘムの馬小屋までやってきた3人の博士がおりました。その3人の博士は、救い主の誕生を賛美して金と香料を捧げました。
 これがクリスマスプレゼントの始まりです。子供たちにプレゼントを運ぶのはサンタクロース。イブの夜に煙突から入って、子供たちが吊しておいた靴下に贈り物を入れていきます。この人は本名セント・ニコラウスさんです。
 270年に小アジア地方に生まれた人で、司教となって多くの財産を貧しい人々に分け与えました。あるとき貧しい3人の少女に、嫁入りの持参金としてそれぞれに金貨入りの財布を夜中に投げ入れてやったという言い伝えがあります。本当はセント・ニコラウスの祭日は12月6日で、ドイツ、スイス、オランダなどではプレゼントは6日に贈られますが、アメリカでいつしかサンタ・クロースのやってくるのはクリスマスイブになっていったそうです。
 クリスマスに向けて戸口などに飾るヒイラギの枚でつくったリースには、魔除けの意味があります。リースの下でキスをして愛を封じ込めた2人はいつまでも幸福だそうです。
 
 

事始め

 お正月を迎えるにあたって、祝賀の準備をすることを総称して「年越し」といいます。新年を祝う習慣は世界中にみられますが、日本ほど新年の準備に力をいれる国はないでしょぅ。12月13月を「事はじめ」といって正月の準備のスタートの日としています。まず大掃除からはじめます。お正月には、ちょっと早すぎるのではないかと思われますが、汚れた処で準備をするわけにもいかないし、大きい処から始めたほうが合理的であると考ぇられていたからです。  この頃には、天井や軒下などの高いところの掃除に便利な煤竹(先に笹の葉がついた竹竿)売りの声が開かれ、「事始め」の日の風物詩にもなっていました。大掃除がおわれば順次、門松・年棚・注連(しめ)飾り・床飾り・餅つき・お節と進んで準備は完了し、大晦日となれば年越しそばなどを食べ、除夜の鐘を開いて新年を迎えるのです。これらの風習は、江戸時代に盛んになり、戦前まで続きましたが、生活様式の変化に応じて生活意識も変わり、今は一部を除いてほとんど見られなくなったのは淋しい限りです。伝統的な民族文化は残していきたいものです。
 
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